身勝手な想像に、愛を込めて

JUMPちゃん沼にハマった働くアラサーが知念侑李をひたすら愛でる想像ブログ。

今、自担について少し思ったこと。

少しだけ自担のことについて書こうと思う。

なぜそんな気持ちになったかというと、先日購入したポポロ3月号の個人インタビュー企画「9年目の自画像」が彼だったからだ。(おそらく、私は人生で初めてポポロを買った。ただ今まで買わなかったことに対する理由も特にはない。)もちろん、すぐさま読んだ。インタビュー記事の内容的には特にJUMPヲタが大きくどよめくほどの内容でもなく、私にとっても確かに大騒ぎするほどのことが書かれていたわけではないが、ただ1つ明確に私を安心させてくれた言葉があった。
僕の仕事はアイドルだから、自分の人気や、芸能界でのポジションが気になるかと聞かれたら「それは気にしない」というのが答え(笑)世間の人から自分がどう見られているか、自分がどう思われたいとか考えたことはない。世間の人の目は僕には関係ないです(笑)
というところ。(余談だけど、個人的にライターさんがどんな質問をして、この答えを得られたのか、がすごく気になっている。)
はっきりとそう書かれた文章を読んだとき、私は少し彼を誤解していたことを痛感させられた。私はもっと彼はあざとい人間だと思っていたから。それは、なんというか、世間に対してではなくて、芸能界の中の世界に対しての話。つくづく伊野尾慧について、まだまだわからない部分が多すぎると感じた次第。まあきっと、彼のことをすべて知っているなんて人はいないだろうし、それはファンだからとかそういうことではなく、友達だって、家族だって、そうであると思っている。
話は少し逸れるけれど、ただ間違いないのは、彼が自分自身について語るのが好きではないタイプであり、むしろ、隠したいと思っている方だということ。それは、以前放送されたNHK第一ラジオ「らじらーサタデー」において、はっきりと、「悩んでいても基本的に(誰にも)相談したくない」と言い切った言葉からも感じ取ることができて、私はあの瞬間、わかってはいたんだけれど、改めて突きつけられた感覚があったことを覚えている。けれど、よくよく考えてみると、彼のその気持ちに私はとても共感した。なぜならそれは、私が彼と同じ考え方の人間だからだと時間差で気付いた。(遅)よく考えれば、私自身、どれだけ悩んでいても、あまり人には相談したくないし、それが重ければ重い悩みほど、誰にも言いたくない人間だった。もし相談することがあっても、なるべく深刻さを出したくないし、何でもないことのように軽く言いたい。なんなら、相談というよりもただの報告になる場合が多いかもしれない。なぜそうなってしまうのかは、自分でもよくわからないけれど、きっと弱みを見せなくない、というような強がりからきてるのではないかなとも思うし、また、だいたい、自分の悩みは結局はっきりとした結論がでない悩みばかりだからだと思う。…まあ、伊野尾ちゃんが果たしてどうかなんて、一生わかることはないだろうけど。
話を少し戻すと、だから自らの内面を吐露することを好まないであろう彼がそのように発言することは意味があるのだと感じるし、そして、今おそらく数年前と大きく環境が変わっているであろう彼がそのように言い切れる強さを私は羨ましいと思い、また同時にそんな彼を好きだと思った。そして安心した。

いつも思うのだけれど、彼の言葉には常に一貫性がある。適当だなんて、よく言ったものだ。たとえば彼が大学時代の経験から学んだコミュニケーションに対する重要性について、何度も彼は語っているし、自分自身における持論のようなものもここ数年変わっていない。それは彼自身も自分があまり変わることはないと言っている。ただ、だからといって、ここから先それが一生変わらないことを願っているわけではないし、むしろ、変わることが当然のことのようにも思える。もちろん、変わらないでいてほしい部分はたくさんあるけれど。ただ、彼をとりまく環境が彼自身の境遇や考え方そのものをよりよくすることは間違いないことだと思うし、その成長のベクトルが万が一間違った方向だとしても、それはそれで仕方のないことかもしれない。

「この世で変わらないのは、変わるということだけだ。」
…という名言があるように、不変であることそのものがおかしなことであり、私が彼が変わらないでいることを願うこともまたおかしなことなのだと思う。去年はJUMPにとっても、彼にとっても、大きな年になったと思う。そして、様々な経験や刺激を彼に与えたことだろう。今年は更に拍車をかけて彼は大きな荒波に飲まれていく気がしていてならないし、もっと成長していくと信じてやまない。今はその変化を私は更により良いものであればと願うのみである。