身勝手な想像に、愛を込めて

JUMPちゃん沼にハマった働くアラサーが知念侑李をひたすら愛でる想像ブログ。

ピンクとグレー感想(※ネタバレあり)

遅ればせながら、我らが中島裕翔主演の「ピンクとグレー」を観てきました。

この盛り上がった気持ちが冷めないうちにちょいと感想を書きたいと思います。
裕翔くんのことは後半に書くので、裕翔くんの感想をご覧になりたい方は、※まで飛んでください。

さてさて、感想がっつり書く前に、まず、ご存知の方ばかりでしょうけれど、これはNEWSの加藤シゲアキくん原作の同名小説の映画化です。
ので、原作のある映画を鑑賞するにあたり、最初に選択を迫られるのが、「原作を読むか否か」。これは完全に観る側に委ねられます。私もギリギリまで読むかどうかを迷っていたのですが、一緒に観にいく予定だった仲良し後輩ちゃんに、「原作を読んだ方がいいらしい」と勧められ、読んでみることにしました。やはり、原作がある以上はそれを読んでしまうと大筋の話の流れだったり、オチ的な部分は映画を観るよりも前に知ってしまうわけです。それが一般的に良いか否かは別ですが、今回に関しては、お勧めされた通り、先に原作を読んでよかったのかなあとは個人的に思いましたね。原作がある以上は作品同士を比べるという作業が頭の中で出来てしまうのですが、この「ピンクとグレー」に関していえば、それが逆に面白かったし、より作品そのものを楽しめた気がする。それは原作者であるシゲ自身も言ってましたが、同名小説とはいえ、全く違う作品になっていたから。

で、ここからが感想ってことになるんですが…完全なる私の解釈なので、ご了承ください。
小説・映画、どちらも筋書きとしては、りばちゃん(河田大貴)を通してみるごっち(鈴木真吾)という人間との数年を描いているわけなんですけれど、小説は、りばちゃんからみるごっちに徹していて、どちらかというと、白木蓮吾に焦点を当てた話かなと読んでいて感じたんですが、映画は、完全にりばちゃんに焦点を当てた話だったんですよね。そこがもう完全に違うなぁと。あとは、やっぱり小説は全体的にきれいでした。私は読んでいて、そういうところが夢があって好きだったんですけど。映画は、話の後半部分が完全なオリジナル脚本だったんですが、そこがややショッキングな内容で、決して美しいだけの話ではない。「生々しい」という表現が果たして正解なのかは、私が芸能界という世界を知らない人間なのでわかりませんが、なんとなく、映画の方はそういう言葉が似合う。話の後半に出てくる菅田将暉演じる成瀬というりばちゃん役の役者が「本当の話はこんなにきれいじゃなかったんでしょ?」的なことを台詞でいっていたように、きれいごとだけでは済まされない世界だということを突きつけられたようだなぁと。
あとは、白木蓮吾そのものが小説と映画では完全に相違してましたね。小説の彼は純粋で儚く脆いイメージがあって、彼自身の内なる才能に魅せられるような感覚があったのですが、(少し美化しているかもしれない。)映画になると、それがなんというかもっと現実的になっていて、リアルに寄せてるというか、少しあざとさのある雰囲気もあったなあと。(読者モデルとして初めて撮影したときの撮られ方とか。すごく自信家に見えました。)何より自殺した原因が違いましたよね。それが一番最後の白木蓮吾の亡霊?とりばちゃんが対峙したシーンでわかるという。観たときは、なんとまあ、ショックというかなんというか。映画の方は、原因は完全にごっちのお姉さんの存在によるものでしかないみたいなのですよ。(このシーンを観たとき、まさかのシスコンオチかよ。とつい思ってしまった。)美しき表現者である姉への憧憬心の強さが彼女を失ったショックで、同じ表現者として生きる道を選ぶまでさせて、結果、姉の想いとシンクロしようとしたというか、すみません、うまく言葉が選べなくて表現しにくいんですが…。小説に関しては、そこにプラスして、もっと様々と複雑なものがあった気がした…少なくとも芸能界という世界への精神的限界であったり、りばちゃんへの存在も彼の中にちゃんとあって、6通の遺書のうち1通を彼だけに伝わるメッセージを含めたりしているのだけれど、映画にはその部分も全くなく、完全にりばちゃんは友達であり、それ以上でもそれ以下でもないというフラットさを感じて、そのときに、「あぁ、この映画は、《白木蓮吾》という存在に振り回され続ける河田大貴の話なんだな」と思いました。まあ、違う見方をすれば、それはごっちがそういう言い方をすることでりばちゃんを突き放すことにより、「白木蓮吾」という呪縛から解放されて、ちゃんと「河鳥大」として生きられるように示した嘘とも考えられますが、そこは観る側の思いによるかな、と。ただ、ごっちのお姉さんとごっちのやりとりを昔のビデオテープで観るシーンや成瀬への暴力事件のあとの事務所社長の台詞、ラストシーンのりばちゃん「しょーもな」と叫ぶ台詞を考えると、なんとなく、嘘ではないかなと思いましたね。

結局、親友ごっちを意識し続けたりばちゃん、一方、ごっちにとってのりばちゃんは自分ほど大きくはなかったというわけですが、その事実に、りばちゃんと同様知ってしまった鑑賞者である私自身のモヤモヤ感を、りばちゃんが歩道橋で「しょーもな」と言って、デュポンのライターを投げるラストシーン、同時に流れ出したエンディング曲のアジカンは、すごく気持ちがよくて、なんか全てを回収してくれた気になって、あのラストシーンはすごくいいなって思いました。

まあ、小説も好きだし、映画も好き。どちらがいいとか悪いとかはないです。ただ、小説の方が美しかったし、救われましたね。

さて、この映画には、開始62分後世界がピンクからグレーに変わるというキャッチコピー?みたいなものがあり、私自身もそこを楽しみにして鑑賞していたわけなんですが、見事に変わりましたね。どういう変わり方かと思っていたら、まさか言葉そのものだったとは…。まず、映像が62分以降、ラストシーンまでグレーでした。(柳楽優弥演じる白木蓮吾だけはカラー。)モノクロ映画をみているような感覚でしたね。(ただ、モノクロだからこそ、おっぱいまみれの裕翔を冷静な気持ちでみれたのだと思う。)安直だし単純だけど、完全にモノクロにするとこはわかりやすいし、伝わりやすいなぁとは思います。
あと、映画自体がグレーに変わるまでの映像は、開始直後から62分まで劇中劇だったわけで、りばちゃんがごっちを演じている姿を、鑑賞側はごっち自身だと思い込んでいたわけですよね。つまり、裕翔は、鈴木真吾(白木蓮吾)と河田大貴(河鳥大)の1人二役のようなものだから、その演じ分けは複雑だなあと思っていました。自殺したごっちがゆらゆら揺れてる状態でカットがかかった瞬間、スタッフがごっち役のりばちゃんを降ろすところは一瞬わけがわからなくて、頭の中が「?」になりました。でも、原作を読んでいたときに、後半りばちゃんがごっちを演じることはわかっていて、読みながら、「これは、菅田くんがやるの?そしたら、ほぼ後半の裕翔の出番ないんじゃない?」って不安だったから、そういうことか、と気づいたときは、上手く考えたなぁと思ったし、中島裕翔主演という表記も合点がいきました。あと、まあ一応こちらとしては当初白木蓮吾は裕翔でしかなかったので、柳楽優弥くんが本当の白木蓮吾だと分かったときは、イメージが違いすぎて、すんなり馴染まなかった。ただ、柳楽優弥くんの蓮吾役の柔らかさも意外性があって、最後はぐっときたけど。


さて、ようやくここまできました。次は主演の裕翔くんについて。裕翔はよかったです。きれいだった。個人的にはやっぱり河田大貴役より白木蓮吾役がよかったかな。憂いを帯びた眼とか、柔らかな雰囲気とか、すごくよかったです。ただ、何よりもリアルおっぱいにまみれる裕翔がもうもうびっくりしちゃって、なかなかジャニーズがあんなおっぱいにまみれることあるの?って衝撃的でしたよ。ほんとに。先にも書いたようにモノクロなうえに映像効果で白黒が反転してたからよかったようなものの、あんなお仕事を引き受けられる年齢になってしまったのかと思ってしまった。正直いって、私は映画は作品として見たいタイプなので、裕翔を裕翔としてみたくなかったけれど、このシーンだったり、あのシーンだったりは、どうしても刺激が強くて、映画に対する思いより「ゆ、裕翔が…」という気持ちにすり替わってしまった。絡んじゃうシーンもそうだったけどね。でもまぁ、予想の範疇だったし、おっぱいのあとだったから、衝撃は薄れたけど、それでもすごかったなあ。もっと裕翔の表情みておけばよかったと後悔した。あと、タバコもそうだったな。裕翔がタバコめっちゃ吸ってる〜!て。タバコを持つ手がきれいだなあってぼんやり思ってました。ただ、菅田将暉が完全にうまかった。やられたなーって思いましたね。裕翔が菅田将暉が殴るシーンの菅田くんが怖くて怖くて、ほんっとに嫌な役だなあって思っちゃって。裕翔が褒めちぎるのもわかる。同じスクリーン映って比べられるのは辛いなとちょっぴり思いました。

ということで、ひとまずここまで書き上げました。何か思いついたら勝手に書き足すかもしれないですが、ちょっと疲れたので終わります。すみません。

ひとりよがりな感想失礼いたしました。