身勝手な想像に、愛を込めて

JUMPちゃん沼にハマった働くアラサーが知念侑李をひたすら愛でる想像ブログ。

アイドルとしての持論を持つこと

どうでもいい話をします。

 
私が伊野尾さんのアイドル論を知ったのは、Myojoの10,000字インタビューが初めてでした。
 
それは、私が知る限り、伊野尾担、JUMP担の間で評価され、何かと伊野尾ちゃんを好きな理由として挙げられることがあります。
 
その抜粋した部分がこちら。
 
 
ー小5でジャニーズ入って、悔しくて泣いたこともあったんじゃない?
「それは、みんな絶対あるでしょ。振りつけおぼえられなくて怒られたり、”おまえ踊れてねーじゃん”って、他のジュニアのコに言われたりとか、位置を外されちゃったりとか、グループに選ばれなかったりとか、そりゃあ、誰だってあるよ」
ーでも、言いたくない?
「言いたくない。だって俺、振り返れば、つらかったことより、楽しかったことばっか出てくるから。うれしかったことばっか。いちばんうれしかったこと、なんだろうな・・・(略)」
ーだから、インタビュー中、ツライ話は、ぼかすし、笑い話ばっかするんだ。
「泣いて悔しかった話っていうのはできるよ。あるからもちろん。でも、なんだろう、それを読んだ人が感動してくれたり、”私もがんばろう!”って思ってくれるかもしれない。たぶん、そういうことも俺たちの仕事のひとつかもしれない。でも、完全に俺の個人的な持論でしかないんだけど、そういう部分は誰かに任せて、自分は自分のままでいたいっていうか、そういう言い方は変かもしれないけど、仕事だからって自分を取り繕ったり、アイドルアイドルしなきゃっていうのも全然なんにもないし、ホント、自分は自分のままで生きてる(笑)。それじゃ受け入れられないかもしれないけど、自分を変えたいとは思わないし、それで好きになってもらえたらいいなって。だから俺は、感動とか、そんなことよりも、僕や僕らを見て、ファンやお客さんに、笑っててほしいっていうか」
ーポリシーなんだ。ただ、JUMPって、すごく早くデビューして、あまりJUMPの歴史を知らない人には、苦労知らずのエリートにみられたりもするでしょ?じつは苦労してる、本当の姿を伝えたいと思わない?
「全然思わない。そういう見方をする人もいれば、きっとどこかには苦労したねって思う人もいるだろうし、みんなが思うことが同じじゃなおもしろくないしさ」
「そもそも苦労をしたりとか、つらいだの、大変だのっていうのは、この世界だけのことじゃないし。これを読んでる、みんなもしてる。みんな大変な思いをしてるし、挫折とかも味わってると思う。俺がそういうことを話せば、もちろん知らなかったとこが知れてっていうのもあると思うけど、やっぱり俺は楽しかった話とか、おもしろかったことの話とかだけしたい。そのほうが自分も楽しいし、読んでる人も楽しいんじゃないのかなっていう」(MYOJO 2014年3月号 10000字ロングインタビュー『裸の時代』より抜粋)

  私も、これを読んだとき、自分の考えをしっかり持っている伊野尾ちゃんは素敵だと思いました。ただ何も考えずにちゃらんぽらんにアイドルやっているよりもアイドルとしてどうあるべきかということを自分で噛み砕き、消化し、責任をもってアイドルをしているのだなと。

 
ただ一方で思うのは、そもそも、アイドルという存在はアーティストとは違って、表現者でありながらも、完全にファンの需要ありきの職業ではないかと私は思っています。
それはアイドルそのものは、歌やダンスや演技と表現するツール、手法は様々あれど、それ以前にどうしても外見重視なところがあるため、表現するものよりも表現する人間側に重きをおかれるからです。好きな人が出す歌だから買うのであって、歌がいいから買うわけじゃない。逆に、まず「この歌、すごく好き」という理由からその音楽を聴いている場合、あまり歌う人のビジュアルはそんなに重視していないんじゃないかなということ。
極端にいってしまえば、自分が外見的に好きじゃない人々が歌やダンスをしていて、今と同じように応援できるかという話であって、ちなみに私の場合、はっきりそれは否といえるでしょう。(よく顔ファンどうのとか言う人をみますが、絶対そのほとんどの人も好きになったきっかけに外見は大きく関わってるでしょうし、むしろ、ジャニーズから容姿のよさとったら事務所は終わります、間違いなく。)もちろん、好きになった入り口が容姿であったとしても、それ以上に魅力的な部分もありますし、最終的に好みは人それぞれでしょう。また、好きな人が出す歌でも「さすがにこれはないわ…」と思って買わないケースももちろんあるので、一概には言えないけれど、まあ、その傾向にあるということですね。

ゆえにアイドルは表現者自身が商品のようなものなので外見はもちろん、「どうアイドルをするか」ということは非常に大きなことかなと。
 
ので、アイドルが、ファンの意向に応える以前に、自分のアイドル持論をもってアイドルをするということは、なかなかの勇気だなと思うのです。そもそも、アイドルという職業に持論をもつことが一瞬矛盾しているように感じなくもない。だがしかし、それが結果的にそういうところがいいと評価されているのだから、なかなか面白い。それが需要になってるわけだから、伊野尾ちゃん的にはしてやったりですよね。(まあ、それ以前にグループとしてファンの需要に応えている部分もあるので完全に「伊野尾アイドル道」を貫いているわけでもないけれど)
 
安直な私は、「あーだから伊野尾ちゃんはファンサしないんだろうな」「ファンサをしないことがアイドル伊野尾なんだろうな」とか考えてしまいます。(普通、ファンがファンサを求めるのなら、それを叶えるのが通常のアイドルなのではないのか、ということです。)
 
少し話は逸れますが、ファンサで私がふと思い出したのは、嵐の翔ちゃんかな。翔ちゃんも個人的にファンサしないことで有名ですよね。それは、翔ちゃんにもまた持論があり、席が近くのファンだけに特別にファンサするのでは、席が遠くのファンの人と差をつけることになり平等ではないのでしないという話を聞いたことがあります。その話を聞いたときに、「ほぉ〜!」って感動した。(もし伊野尾ちゃんがファンサをしない理由が全く同じであれば、すげえってなるけど、多分違うと想う。)
 
話を戻します。やっぱりなんやかんや言いつつ、持論とまではいかなくても、アイドルが誇りをもってアイドルする以上は、やはり「美学」というか「ポリシー」「目指すべき姿」は持っていたいと思うのは自然なことなのでしょうね。逆に、人の意見や評価ばかりを気にして、スタンスがブレているのもいかがなものかとも思うのも事実だし。そして、何よりファンというのも多種多様なので、全ての要望に応えることは不可能ということ。何かのインタビューでKAT-TUNの亀ちゃんが、同じタイミングでみたファンレターで髪の毛が長い方が好きという人と髪の毛を切った方がいいという人が両方いて、どうしたらいいんだってなった的な話を思い出しました。この時点でこのファン2人の需要はどちらかが叶えられないことは明確です。
だから、無意識的か意識的かは別にしても、自分がアイドルとしてのどういう状態でいるかということは考えているのだろうなということ。
 
ただ、その状態が行き過ぎるとそれはそれでファンが離れていくのも、また事実かなと。「もうついていけない」「私の好きな○○くんじゃなくなった」なんていう言葉を過去聞いたことのあるような、ないような。
なんというか、自分のアイドル論が極端になると、ファンの望むものとは大きくかけ離れ、結果、ファンをやめるに至るんでしょうね。
 
論点ブレブレですね。結局何が言いたいの?と言われると、私もよくわからなくなってきました。(え)なんかどんどん話が逸れているような気もしてます。計画性のない文章ですみません。
 
ええと、とりあえず結論づけるなら、大きく2つ。
結局、「アイドル自身がどこまでファンの需要に応え切れるか」と「ファンがどこまで耐えれるか」ということなんじゃないかと。
 
一つ目の「アイドル自身がどこまでファンの需要に応え切れるか」という点については、わかりやすくいうと、「かわいい」「かっこいい」という形容だけでも説明できる。多くのファンが「かわいい」姿を好きだとしても、本人が「かわいい」と言われるのが嫌で「かっこいい」と言われたい場合、どっちを目指していくかということ。「かわいい」に意識を置くと、やっぱりファンの需要に応えたことになるし、「かっこいい」を目指すと、それは、『かわいいところが好きなファンは離れていっても別にいいんだ、オレはかっこいいと言われたいから、かっこよくありたいんだ。』という自分のアイドル像が勝ったことになります。どこまで、自分を殺すかといえば、聞こえは悪いですが、ファンの望む自分であろうとすることがどこまでできるかということ。
 
もう一つの「ファンがどこまで耐えれるか」という点については、逆にアイドルが我が道を貫き通した場合の話。「ありのままの彼が好きだから」という盲目精神がどこまで持ちこたえられるかという、もはや一人我慢大会状態。「そんな姿は求めていない」という自分と「彼のどんな姿でも愛したい」という、一種のプライドの戦いといっても過言ではないでしょう。それがどこまで持ちこたえられるかどうか。「もう無理!」となったそのときが担降りのときかもしれません。
 
そういう意味で、1番最高なのは、「自分の望むアイドルとしての姿=ファンの需要」だった場合。ファンも無理せず、アイドルも無理せず、非常に幸せな状態ですね。
色々どうでもいいことをぐだぐだと話してましたけど、今のジャニーズはこういう形が多いんじゃないかしらね。まあ、お互い100%満足してるかと言われれば微妙かもしれないですが、ある程度は需要に応え切れてるし、アイドルも無理せずにいれてるんじゃないかなと。
 
かくいう私は伊野尾ちゃんがアイドルとしてどうあるべきかというアイドル持論に関しては、おおよそ賛成ですが、しかしながら、やっぱりファンを喜ばせてほしいとは思ってしまう気持ちもありますね。先の結論から言えば、私がどこまで持ちこたえられるか、だということでしょう。(まあ、「ファンサしません」っていう持論を展開してるわけではないので、それはポリシーを持って、していないのではなく、あくまで「自分のままでいた」結果が、そういう奔放な状態なんでしょうけどね。)きっと、伊野尾ちゃんは伊野尾ちゃんであることを殺さないし、それがまた彼の魅力なのだと思うし、私もなんやかんや言いつつも、そんな伊野尾ちゃんが好きなのではないかとも、また思ったりするわけです。
 
どうでもいい話はここらで終わります。お付き合いありがとうございました。